ひとはな日和

脱サラし移住した田舎でサラリーマンしながら畑やってます!目指せ!脱サラと、ひそかに自給自足に憧れています。

自分の人生を歩むには?

こんにちは。

Syoです。

先日、岸見さんの「嫌われる勇気」を読みました。

アドラー心理学の話です。

が、正直わたしには少し難しかった。

 

アドラー心理学の伝道師としての哲人と、

人生に悩む青年の対話形式で話が進むのですが、

登場する青年のようにすぐには理解できなかった。

何度か読み込んで理解する必要がありそうです。

 

それでも心に響くものがいくつかありました。

特に印象的だったのが、

“他者の期待を満たすように生きること、

 自分の人生を他人任せにすることは、

 自分にも周囲にも嘘をつく人生を送ることになる”

というもの。

 

幼い頃の自分を思い出しました。

 

過去

ところで…

自分らしく本当の“自分の人生”を歩めている人ってどれだけいるのでしょうか。

自分の人生ては…ずっとわからないです。

30歳超えてもで迷子ですね。

 

わたしは幼い頃、

大人になるにつれて世界はだんだんと良くなるものだと本気で思っていました。

先生や親の言うことが絶対だと信じ、

世間一般的に言う“いい子”だったわたし。

先生から可愛がられ、

親に期待され、

それに応えることが物事の判断基準になっていました。

 

ところが、

そうした先生の言うことや親の言うことというのは、

子供がしたいことと逆であることが多々あります。

そんな状況の中でわたしの心の内は、

「友人からの仲間はずれも嫌だし、大人たちから認められたい。」

というものになっていました。

そんな思いで生きていると矛盾ばかりになってしまいます。

 

そして、ちょっとした“仲間ハズレ”を受けるようになりました。

その“仲間ハズレ”も主犯がいて行為に及んでいたわけでなく、

今思うと、「あいつ、生真面目でうっとうしい時があるな」くらいが集団意識の中で発展したんだと思います。

大したいじめではなかったし、

もともと一緒に遊んでいた友人たちだったので、

しばらくするとその仲間ハズレも落ち着き、

何事もなかったかのようにまた一緒に遊ぶようになりました。

 

ただ…

その出来事から、

“裏切られた悲しみ”を知り、

“疑う”ことを覚えました。

 

1人でいることの代償

その後はそういったことに遭遇したくない、

そう思い、

1人でいることが多くなりました。

学生時代は、

クラブ活動をしていましたし、

遊ぶ友達がいなかったわけでもない、

何人かの恋人もできました。

けれど、本当の意味で自分をさらけ出したことはなかった。

 

これ、すっごく寂しいです。

 

わたしを知っている人からすると、

この告白はすごく驚かれると思います。

 

性格的には人懐っこく温厚で社交的、

いろんなことにもチャレンジしてきましたから。

 

けれど違うんです。

寂しさを紛らわすために、

表面上は社交的、

でも実際には心は1人ぼっち。

1人になりたくなくて、

その他大勢の中に1人になりたくなくて、

奇抜なファッションをしたり、

人と違う選択をあえてする、

ということをしてきました。

そういうことでしか自分の存在を証明できなかったんですね。

 

アドラーの心理学

こうした生き方をこの本に痛烈に批判されました。

「自分の人生を生きろ」と。

アドラー心理学をまだ咀嚼しています。

腑に落ちていません。

けれども自分の過去を久々に思い出したので、

思い切って記事にしてみました。

“自分を変えたい”という第一歩になればと。