水は低きに流れる、人は…???
おはようございます。
Syoです。
毎日暑い日が続き大変ですが、みなさんいかがお過ごしですか。
わたしはというと…
暑く大変なことを理由に楽な方、楽な方へと流れてしまっています。
自分がしようと決めたことが出来ない情けなさと言ったら…
ここ最近は自己嫌悪の毎日です。
それでもやっぱり諦めたらおしまいなので、
実現するまで頑張りたいのですが、
ただただ気合いで乗り切るという方法はこれまでの経験上、
無理が出てリバウンドし、また自己嫌悪…
という負のスパイラルに陥ることがわかっているので、
まずは考え方から修正しようと思います。
水は低きに流れ、人は易きに流れる
自己嫌悪するたびに思い出す言葉があります。
“水は低きに流れ、人は易きに流れる”
水は重力に従い、低い方へ低い方へ流れていく。
同じように、人間は簡単で易しい道を選ぶ。
初めて聞いた時にはなるほどなぁ、と思いました。
だから、
そうじゃないように、
そうならないように、
自分を律して生きていかねばならないんだ、
と思いました。
ところがこれが難しい。
易きに流れてしまう。
そして、
「また楽な方を選んだ」
「この言葉通りになってしまった」
気づけばいつの間にか、
この言葉に縛られてしまっているように思います。
言葉の捉え方
今回、この“水は低きに流れ、人は易きに流れる”
という言葉を改めて調べてみると、
原典は孟子の“水の低きに就く如し”からきているとそうです。
そして、その意味は、
水というのは低い方に流れて行くもの。そうした自然の成り行きは止められないもので、自然にそうなること、のたとえ。
だそうです。
これまで理解していたニュアンスとは違い、驚きました。
自分を縛っていた言葉の原点は
慈悲深く、
心にスッーと入ってくるものでした。
まとめ
はじめは自己嫌悪する自分をなんとか律しなきゃ!
という思いでしたが、
改めて調べてみると、
違った意味合いに救われました。
こうしたことは他の言葉でもあるかもしれませんね。
言葉も進化する生き物、それを実感しました。
また、大事なのはここからです。
この言葉の意味を知った上で、
だから易きに流れてもいいんだ!
ではなく、
なるようになったことをどう受け止めるのか、
が大事なことのように思います。
まだまだ暑い夏は続きます。
みなさんも自分の夢や目標に向かって行くと、
つまづくことがたくさんあると思いますが、
時には立ち止まって、
深呼吸してみてはいかがですか。