ひとはな日和

脱サラし移住した田舎でサラリーマンしながら畑やってます!目指せ!脱サラと、ひそかに自給自足に憧れています。

「凍」すごくよかったです!

こんばんは。

Syoです。

今夜は沢木耕太郎さんの、

ノンフィクション「凍」を、

読んだのでその感想を記事にします。

凍 (新潮文庫)

凍 (新潮文庫)

 

 

手に取ったきっかけ

今回は誰かに勧められたわけではなく、

「登山」「山野井夫妻」「沢木耕太郎さん」

というキーワードで、

前から気にはなっていたので、

楽天市場のカートに入れっぱなしでした。

 

ただ、なぜかポチッとしていませんでした。

最近はガイドとして尾瀬を歩くことはあるけれど、

個人で山に入ることが少なくなったわたしです。

その理由はここ数年プライベートでゴタゴタがあったから。

それがやっと落ち着き、

ふと「山に行きたいなぁ」と思えました。

そして、今月来月とプライベートで山に行く計画を立て、

登山熱がふつふつとしてきたからでしょうか。

 

この本を1週間前に注文し、

4日ほど前から読み始め、

3日目の昨日読み終えました。

 

ストーリー

世界的にもトップクライマーの山野井夫妻が、

「ギャチュンカン」という、

ヒマラヤの山に登る実話を描いたものです。

クライマーという特殊な人種で、

その中でも特異な山野井夫妻が、

その後のクライマー人生に影響を与えた、

壮絶な登山をした話です。

 

登山が好きならもちろんですが、

山に登らなくても、

山野井夫妻の山に対するまっすぐな思いには、

心動かされます。

 

「いい登山だった」

印象的だったのが、

2人は本当に山が好きなんだなぁ、

ということ。

それは決して対外的なものではありません。

内から溢れ出てくる、

生き様そのものです。

 

莫大な資金が必要な遠征登山に関しても、

自分たちで資金を調達し、

スポンサーの条件や思惑に左右されない登山をします。

立ちはだかる巨大な壁に対しても、

「怖いな」

「死ぬかもしれない」

という負の感情も強く感じてますがやっぱり登ります。

記録を求めて高い山を登るのではなく、

自分たちが感じる「美しい登山」をしようとします。

 

だからこそ、凍傷になり指を落としても、

「いい登山だった」と胸を張って言えるんだと思います。

 

周りからすると、

“あり得ない”ことですが、

そうではないんです。

 

自分自身に対して、

嘘をつかず、

妥協をしない、

ただそれだけなんだと思います。

 

天気を確かめるため、

通常持ってくる無線や衛星電話を持ってこないのは、

「素のままの自分を山に放ちたいから。」 

 

ライミングが好きだという一点から揺らぐことがない。

好きなクライミングをしている限り、どんなことでも耐えられるのだ。

 

特別とは?

そうした山野井夫妻はやはり特別な肉体や精神力の持ち主なんでしょうか。

特別な…

そんな安直な言葉を使ってしまっては、

山野井夫妻のことを説明できません。

 

彼らは…

全てを自分たちだけで決められるように生活を、設計している。

あることをするのに、他人の提示する条件を受け入れたほうがずっと楽という場合でも、苦労を承知で自分たちだけでやる方を選ぶ。本当に徹底して。

他人と競争するために、

比べるために、

登山するのではありません。

8000メートルという高さはヒマラヤ登山に必須のものではなかった。8000メートル以下でも、素晴らしい壁があり、そこに美しいラインを描いて登れるなら、その方がはるかにいい。

 

彼らは、「自由」なんです。

自分の思いに素直で、

周りに流されないように生きています。

それを表現するのがたまたま登山だったんです。

わたしの場合はどうかなぁ、

と考えずにはいられませんでした。

 

おわりに

わたしはフィクションはあまり読見ません。

そう、もうしばらく読んでいないなぁ。

その理由を巻末に掲載してある池澤夏樹さんの解説から引用します。

フィクションはしばしばイデアにさまよい、イデオロギーに走り、形式に凝り、詩に流れ、作者の勝手な夢想の器として使われる。

ノンフィクションはいつも生きて世にある人間たちへの強い関心の上に成立する。

 いやぁ、しびれるいい本でした。

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